江戸時代の北海道について、紹介していきたいと思います。
北海道の人々は、江戸時代を迎えても、なお本州の人々とは異なる文化で暮らしていました。
まず、北海道を時代別に分けると、旧石器時代、縄文時代、続縄文時代、擦文時代、アイヌ文化時代となります。時代別にみると分かりますが、弥生、古墳・奈良、平安、鎌倉、室町・戦国、江戸といった時代は、北海道には一切当てはまりません。縄文時代までは、本州と文化や暮らしも同じでしたが、弥生時代に移行せずに独自の文化を築いてきたのが北海道です。
みなさんは、「松前藩」という名の藩を聞いたことがありますでしょうか。
歴史をたどってみると、「松前藩」は北海道と本州とのその後の関係を大きく左右した歴史的にもかなり重要な藩です。
そこで、このたびは「松前藩」の始まりについて少しだけ紹介したいと思います。
まず「松前藩」ができたのは、1700年代の江戸時代のことです。
「松前藩」の始祖をたどると、室町時代の後半の武将「武田信広」とされています。
「武田信広」は、1457年に起きた志濃里の和人鍛冶屋とそこを訪れた客のアイヌ少年との間に起きてしまった争いをきっかけに始まった「コシャマインの乱」で、乱を鎮圧する活躍をし、蝦夷地に渡ってきていた和人をまとめることに成功しました。
その後、蝦夷地を治める役割を任されることとなり、当時天下を取っていた豊富秀吉から全蝦夷地の支配権を与えられました。
そして、1599年に姓を「松前」という名に改め、1719年に第1代目の松前藩主となったのです。
1400年代から1700年代までには、蝦夷地の支配でさまざまなことが起こりましたが、「松前藩」は一人の武将によって造られたということになります。
「松前藩」という藩は、かなり長い間北海道を治めていた藩なので、興味のある方はぜひ「松前藩」の詳細を調べてみてください。