旧石器時代、縄文時代、続縄文時代、擦文時代、アイヌ文化時代と本州とは異なる時代を歩んできた北海道。明治時代では、北海道も本州とともに時代の始まりを迎えます。
ただ、アイヌ文化時代=江戸時代から始まった和人とのわだかまりは、明治時代を迎えても解消できていないようです。
徳川幕府の命を受けた蘭学者武田斐三郎が設計を手掛け、1864(元治元)年に完成した、国内初の西洋式城郭の五稜郭は、函館山から約6km離れた函館市のほぼ中央、浅いすり鉢の底のように低くなっている所にあります。
国の特別史跡に指定されたこの場所は、戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争の舞台にもなりました。
星形の城郭は、防御側の死角が少ないなどの利点があり、ヨーロッパを中心に普及していました。
幕府は開港に伴う防備強化を図るため、五稜郭築造に着手しましたが、建設途中で財政難に陥り、計画変更を余儀なくされてしまいます。
人馬が出てくるのが見えないようにするための、菱形状をした土塁「半月堡(はんげつほ)」は、5つの予定が、一の橋を渡った右手にある1カ所だけとなり、備前御影石を用いる予定の石垣は、函館山から切り出した安山岩を使用しています。
約7年を費やして出来上がった五稜郭には、箱館山の麓にあった奉行所が移転。
1867(慶応4)年の大政奉還により、明治新政府が業務を引き継ぎ、名称は箱館裁判所・箱館府となりますが、江戸開城に納得しない榎本らが、蝦夷共和国の樹立を目指して北海道に上陸し、五稜郭の占拠を成し遂げます。しかし新政府軍の反撃に屈し、1869(明治2)年5月に五稜郭を明け渡すことになります。
箱館戦争後、大半の建物が解体されてしまいましたが、白壁の「兵糧庫」は難を逃れ、箱館奉行所は、2010(平成22)年6月に復元公開されています。
五稜郭公園として一般開放されるようになった1914(大正3)年には、当時の函館毎日新聞社が発刊1万号を記念し、10年かけて約1万本のサクラの木を寄贈、植樹しています。
春に約1600本のソメイヨシノなどが咲き誇るサクラの名所とし、人気の高い観光地、地元市民にとっての憩いの場となっていますが、一の橋を渡った右手の土手にあるサクラが、この公園で特に見栄えがいいようです。
桜の開花はソメイヨシノが標本木です。函館市では五稜郭公園の桜が観測場所となっているのを、みなさんはご存知でしたか?
冬には堀がライトアップされるなどの工夫がこなされ、四季折々に美しい景色が眺める公園となっています。
五稜郭公園を眺望する、107mの高さを持つ五稜郭タワーからは、星形をした五稜郭を、しっかり見ることができます。
2層構造の展望台2階では、ペリー来航に始まり、箱館戦争、明治時代に行われていた堀での氷の切り出しといった、時代の場面を造形したジオラマ 16体が並べられています。
また、壁面を覆い尽くすグラフィックでは、五稜郭の歴史が詳しく解説されています。
市内を一望できる360度の大パノラマが自慢の五稜郭タワー。春はピンク、夏は緑、秋は赤黄、冬は白色と姿を変える五稜郭の星。四季折々の楽しみがあります。