江戸時代の北海道について、紹介していきたいと思います。
北海道の人々は、江戸時代を迎えても、なお本州の人々とは異なる文化で暮らしていました。
まず、北海道を時代別に分けると、旧石器時代、縄文時代、続縄文時代、擦文時代、アイヌ文化時代となります。時代別にみると分かりますが、弥生、古墳・奈良、平安、鎌倉、室町・戦国、江戸といった時代は、北海道には一切当てはまりません。縄文時代までは、本州と文化や暮らしも同じでしたが、弥生時代に移行せずに独自の文化を築いてきたのが北海道です。
江戸時代の北海道では、ニシン漁が本格的に始まりました。当時、北海道では稲作が行われておらず、北海道を治めていた松前藩は米で知行を与えることができませんでした。そこで松前藩は稲作の代わりに、アイヌの人たちとの「交易」をする権利、漁業を行うための「知行地」を家臣に与えました。
江戸時代中期になると、松前藩士たちは知行地の運営を商人(場所請負人)に委託し、委託された商人は交易の利益の一部を運上金として、松前藩士に納めるようになりました。この交易の主役となったのがニシン漁です。ニシンは、自家の食糧として貯えたり、加工したりと多くの利益を得ることができたので、瞬く間にニシン漁は広まっていきました。
以上のように、アイヌ文化時代=江戸時代から始まってからは、それまでいい関係であったアイヌ人と和人との間に溝ができ、ついにはアイヌ人が和人の支配下に置かれるまでになってしまいました。徳川幕府はアイヌ人の日本への帰属を認めましたが、このようなアイヌ人と和人との関係は、今後も続いていき、江戸時代の終わりを迎えても元には戻りませんでした。
参考ページ
アイヌ人の歴史:『http://www.k3.dion.ne.jp/~kamishin/Ainubunka.htm』
ニシン漁の歴史:『http://www6.plala.or.jp/AKAIWA/nishinrekishi1.html』