日本の中で最も豊かな自然を有する北海道。そんな北海道の縄文時代の歴史をみなさんはご存知でしょうか。あまり教科書などにも載っていないようなので、結構マニアックな歴史かもしれません。日本全体としての縄文時代の歴史は知っているが、北海道に限定されると全く分からないという人が多いと思われます。私も最近までは、全然知りませんでした。
実は、北海道は日本のほかの地方とは、少し違う歴史・文化を歩んでいるのです。この度は、北海道が縄文時代でどのような歴史を歩んできたのかを少しずつ紹介していきたいと思います。
この度は、北海道の一部にしか広まることのなかった「オホーツク文化」について詳し
く紹介していきたいと思います。現在でも「オホーツク文化」は、謎に包まれていること
が多く、文化のルーツさえも謎に包まれている奥の深い文化です。
北海道が、本州とは別の時代を過ごしていた続縄文時代。そんな続縄文時代の続縄文文
化も定着してきて慣れ親しんでいた5世紀の終わりごろ、北海道の東部やオホーツク海岸
沿いでは、続縄文文化とはまったく異なる文化が芽生え始めました。それが「ホーツク文
化」です。
「オホーツク文化」は、オホーツク海岸沿いだけでなく、北海道の東部や道北にも広ま
っていたと考えられていて、樺太や千島のほうでも広まっていたようです。
「オホーツク文化」がどこから広まってきたかというのは、樺太南部で少数民族である
ニヴフによって始まったのではないかとされていますが、はっきりとは分かっておらず謎
に包まれたままです。
「オホーツク文化」が広まっていた時代は、本州の時代と照らし合わせると、弥生時代
の終わりごろから、古墳時代や奈良時代を経て平安時代の中期頃に相当します。
「オホーツク文化」を取り入れて生活をしていたオホーツク人は、沿岸部に住んでいた
ので食べ物には困っておらず、船を利用して捕鯨やアザラシやトドなどの海獣狩りを盛ん
に行っていました。漁業以外では、山で狩をして肉や毛皮を手に入れたり、犬を家畜とし
て育てていたそうです。日本で犬食文化が広まっていたとされているのも、この時代で
す。
日本のほかの文化では、見られないような特徴を持っているので、日本の考古学史上で
もっとも異質な文化とされているのが「オホーツク文化」です。
そして「オホーツク文化」は、約800年続いたとされており、北海道でいうと擦文文化
が終わりかけていたころに、オホーツク文化は突然消えてしまいました。消えてしまった
理由に関しては、現在でも謎に包まれたままですが、オホーツク海岸沿いで「オホーツク
文化」が広まっていたということははっきりとした事実のようです。
ここまで謎に包まれている文化だと、ロマンが感じられ自分でいろいろと調べたくな
ってしまいますね。「オホーツク文化」に関しての本をご存知の方は、ぜひ教えてくださ
い。