日本の中で最も豊かな自然を有する北海道。そんな北海道の縄文時代の歴史をみなさんはご存知でしょうか。あまり教科書などにも載っていないようなので、結構マニアックな歴史かもしれません。日本全体としての縄文時代の歴史は知っているが、北海道に限定されると全く分からないという人が多いと思われます。私も最近までは、全然知りませんでした。
実は、北海道は日本のほかの地方とは、少し違う歴史・文化を歩んでいるのです。この度は、北海道が縄文時代でどのような歴史を歩んできたのかを少しずつ紹介していきたいと思います。
まだまだ謎に包まれている縄文時代の食文化。特に北海道は、本州より謎に包まれているようです。この度は、そんな謎に包まれている北海道の縄文時代の「食文化」について少しだけ紹介していきたいと思います。
・「犬食文化」
まず「犬食文化」とは、食用目的として犬を飼育して、大きくなったら犬の肉を食べる習慣のことです。「犬食文化」は、中国や朝鮮半島、ベトナムのような古くからの農耕社会の地域に広まっていました。西アジアは、宗教上の理由などがあるので、その多くは東アジアや東南アジアです。
犬を食べるなんて少し信じられませんが、縄文時代や弥生時代では日本でも「犬食文化」が広まっていたようなのです。これまでは、一般的には日本では「犬食文化」は広まっていないと考えられていました。しかし、発掘の調査が行われた縄文中期から後期の貝塚からは、犬の骨が散乱した状態で見つかり、上腕骨には解体の痕も見つかったのです。
これは、縄文中期から後期では犬を食用として解体していたという物的証拠にもなり、そのころからすでに日本列島に「犬食文化」が伝わっていたということにもなります。さらに、北海道ではアイヌ・和人関係なく食糧不足になる冬の時期には、犬を食べていたという証言も存在しているようです。
まだ縄文時代の「犬食文化」についての情報は、そんなに多くありませんが、貝塚から解体痕の残った骨が見つかったというのは、決定的な証拠かもしれませんね。
・「森から食料を採取」
縄文時代の北海道では、ミズナラやニレなどの落葉広葉樹林が多く分布していました。そして北海道に住んでいた縄文人たちは、広葉樹林の森からいろいろな食料を採取していたそうです。その証拠に、遺跡からはドングリやオニグルミの殻など、いわゆる食べカスが見つかっています。
また、小樽市や千歳市で発見された縄文時代の後期の中期頃の遺跡では、トチノキの利用が始まっていたということも明らかになりました。
さまざまな遺跡から、森から食料を採取していたということが明らかになっているので、「犬食文化」と比べると信憑性の高い食文化と言えます。これら以外にも、まだまだ明らかになっていない縄文時代の食文化が存在するようで、最近では北海道で遺跡から蕎麦の種子が見つかり、「蕎麦文化」が広まっていたという事実も発覚しました。
謎に包まれている食文化がたくさんある縄文時代・・・調べてみるとさまざまな事実が発覚しますよ。興味のある方は、ぜひ調べてみてください。