ハリストス正教会


北海道の歴史
北海道の歴史を時代毎に考察し、主な出来事を史実ごとに事実と共に個人の感想を織り交ぜながら紹介します。
◇明治時代の北海道

旧石器時代、縄文時代、続縄文時代、擦文時代、アイヌ文化時代と本州とは異なる時代を歩んできた北海道。明治時代では、北海道も本州とともに時代の始まりを迎えます。
 ただ、アイヌ文化時代=江戸時代から始まった和人とのわだかまりは、明治時代を迎えても解消できていないようです。

ハリストス正教会
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ハリストス正教会

異国情緒漂う函館の町並みを形作る洋風建築物の代表格と言えるのが、「函館ハリストス正教会」でしょう。白壁と緑屋根の外観に加え、美しい音色を奏でる鐘があることでも有名です。
1859年に、初代ロシア領事ゴシケヴィッチが現在の教会所在地にロシア領事館の敷地を確保。翌1860年、領事館付属聖堂として創立されたのが、初代の聖堂です。1861年に来函した青年司祭ニコライが、この聖堂を拠点に日本で初めてロシア正教を布教しましたが、1907年に起きた大火で建物を焼失。現在の教会は、幾度の類焼や再建を経た1988年の大改修後のもの。1916年にロシア風ビザンチン様式の聖堂として再建され、1983年に国の重要文化財に指定されています。
正面玄関上にそびえる八角形の鐘塔に取り付けられている鐘は5代目。最初に聖堂ができたとき、5個の鐘を楽器のように鳴らしたことから、市民には「ガンガン寺」の愛称で親しまれています。
聖堂の鐘楼には大小6個の洋鐘が配置され、鐘を鳴らす時、手と足を使って独特のメロディを奏でます。この鐘の音は、毎週土曜日午後5時の徹夜祷、日曜日午前の聖体礼儀など、1回あたり3~5分間にわたって函館山の麓一帯に響き渡ります。鐘の響きは幕末、明治の文明開化の息吹を伝える遺産として評価され、1996年に環境庁「日本の音風景100選」に認定。2代目は大正5年に現聖堂を再建した時のものですが、関東大震災で東京神田ニコライ堂の鐘楼が崩壊した時に、復興のため運ばれていってしまいました。3代目は6個一組の鐘でしたが、戦争の金属供出で消失。それ以後函館ハリストス正教会には鐘がありませんでした。昭和43年にギリシャ人船主が、聖堂に鐘がないことを見かねて寄付してくれたのが4代目です。しかし函館までの輸送中にヒビが入ってしまい、音を奏でることなく終わってしまいます。昭和58年に現在の鐘が吊るされるまで、設置されたスピーカーから鐘の音が流されていたという、なんとも侘しい時間を過ごしています。

教会の上には冠型をした6つのクーポル(ドーム状の小塔)があり、それぞれに十字架が添えられています。この十字架は一般的なものとは違っていて、短い棒や斜めの棒がついています。短い横棒は聖書に書かれている「罪状書き」の札。斜めの棒は、ハリストスが十字架に掛けられた時に左右の十字架にそれぞれ盗賊が掛けられていたとされています。右側に掛けられた盗賊は人生の最後に悔い改められ、その霊は天国に上げられましたが、左側に掛けられた盗賊は、最後まで悔い改めること無く、その霊は地獄に降されました。棒の右側が上がって、左側が下がっているのはそのためです。

リズミカルに響く鐘の音が、港町函館の風景と見事なハーモーニーを奏でる「函館ハリストス正教会」。海をバックに絵になる写真が撮れる撮影ポイントでもあります。静かに佇む教会の魅力に、そっと寄り添ってみませんか。キリスト教徒でなくても神聖な気分になれますよ^^


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