北海道の名称の由来


北海道の歴史
北海道の歴史を時代毎に考察し、主な出来事を史実ごとに事実と共に個人の感想を織り交ぜながら紹介します。
◇明治時代の北海道

旧石器時代、縄文時代、続縄文時代、擦文時代、アイヌ文化時代と本州とは異なる時代を歩んできた北海道。明治時代では、北海道も本州とともに時代の始まりを迎えます。
 ただ、アイヌ文化時代=江戸時代から始まった和人とのわだかまりは、明治時代を迎えても解消できていないようです。

北海道の名称の由来
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北海道の名称の由来

今でこそ当たり前に「北海道(ほっかいどう)」ですが、以前は「蝦夷地(えぞち)」や「蝦夷が島(えぞがしま)」などと呼ばれていました。
ではいつから「北海道(ほっかいどう)」と呼ばれるようになったのでしょうか?
今回は由来やなぜ北海道だけ「道」なのかに注目してみました。

まず名称についてですが、改称されたのは明治以降のこと。
1869年(明治2年)に蝦夷地探検家の松浦武四郎によって名付けられました。
名前をつける際に「日高見(ひたかみ)道」、「北加伊(ほっかい)道」、「海北道」、「海島道」、「東北道」、「千島道」の6つの候補があげられました。
この中から「北加伊道」が選ばれ、「加伊」を「海」へと変更して「北海道」となったと言われています。
「加伊(かい)」というのは、アイヌが自分たちの事を「加伊」と呼んだところからつけたと言われていますが、「蝦夷」の音読みからきたものであるという説もあります。

次に、なぜ北海道だけ「道」という呼び方なのかというと、この地域の歴史に由来しています。北海道だけが「道(どう)」でひとつの行政単位になっているからだと考えられています。

江戸時代以前の北海道は日本の行政権が及んでいない地域だと考えられていました。
明治になってから西洋諸外国に対し開国するのですが、西洋は領土というものについてとても厳密な文化をもっていました。
それにより日本も意識せざるをえなくなるのです。これまであまり意識していなかった北海道に対しても、その領有を主張するためにはきちんとした統治をしなければならなかったのです。

北海道は日本とロシアの間にあり、国防の点からも重要な地でした。それに加えて広大な土地があったため殖産興業の発展のためにも都合がよく、富国強兵をすすめるためにも非常に魅力的な地域でした。
そこで明治政府による北海道の開発がはじまったのです。

明治初年に、「開拓使」という官庁が設置されたのですが、その管轄は北海「道」という地域全体でした。
開拓使による開拓を行った後、他の地域と同じように県として「函館県」、「札幌県」、「根室県」の3県を設置していた時期もあったのですが、混乱を招き批判も多かったため、内閣制度発足に伴う機構改革を機に廃止されました。そのため再び北海道全体を管轄対象とした「北海道庁」が設置されました。以来、北海道は全体で一つの行政区域となっているのです。

といった理由があったのですが、ご理解いただけましたか?
分かりやすくまとめたつもりなのですが伝わったのか不安です。私の説明が下手ですみません^^;

それにしても、北海道が蝦夷地と呼ばれていたのは、はるか昔のように思っていましたが、明治に入ってからだと聞くと最近のような気がしますね^^


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