「官営幌内鉄道」と「北海道炭礦鉄道」について


北海道の歴史
北海道の歴史を時代毎に考察し、主な出来事を史実ごとに事実と共に個人の感想を織り交ぜながら紹介します。
◇明治時代の北海道

旧石器時代、縄文時代、続縄文時代、擦文時代、アイヌ文化時代と本州とは異なる時代を歩んできた北海道。明治時代では、北海道も本州とともに時代の始まりを迎えます。
 ただ、アイヌ文化時代=江戸時代から始まった和人とのわだかまりは、明治時代を迎えても解消できていないようです。

「官営幌内鉄道」と「北海道炭礦鉄道」について
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「官営幌内鉄道」と「北海道炭礦鉄道」について

私たちの身近な交通手段として、今でこそ当たり前に利用している鉄道。トラブルなんかが起きて一時停止でもしようものなら、たくさんの人が困ってしまうくらい大切な交通手段となっています。

ちなみに“鉄道”は等間隔で設置されているレールの上を動力をもった車両が一定方向に走る交通機関の総称で、“電車”はレールの上を電力で動く車両のことを言います。

北海道にも、たくさんの人が利用している駅・路線もあれば、利用者が減ってしまい廃止となってしまうものまで、たくさんの駅や路線があります。

今回は北海道の鉄道の中でも始まりの鉄道である「官営幌内鉄道(かんえいほろないてつどう)」と、官営幌内鉄道が開業した路線を譲渡された「北海道炭礦鉄道(ほっかいどうたんこうてつどう)」についてご紹介しようと思います。

北海道の鉄道の始まりは、明治15年(1882年)に開業した「官営幌内鉄道」でした。

「官営幌内鉄道」は、北海道にかつて存在した官営の鉄道事業者で、北海道開拓使が建設・運営していました。道内の開発と、産業振興に必要な幌内炭鉱の石炭を運び出すのが目的でした。
1985年に廃止された後の手宮線や、現存している函館本線南小樽駅~岩見沢駅間、1987年に廃止となった幌内線などの建設をしました。

しかし、幌内鉄道の経営は決して順調というわけではなく、管轄を変えながら存続していましたが、明治22年(1889年)に私鉄の「北海道炭礦鉄道」に事業譲渡し、官営幌内鉄道はなくなってしまいました。

「北海道炭礦鉄道」は、官営幌内鉄道が開業した路線を1889年に譲渡され、現在の北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の一部などを建設した私鉄です。沿線の炭鉱から産出される石炭を積出港に運搬する役目を担っていました。

北海道の開拓を進めるにあたって鉄道の建設が不可欠だったのですが、北海道炭礦鉄道には不可能であると判断され、北海道庁自ら鉄道建設や運営を行うこととなります。
1896年には、北海道鉄道敷設法が公布・施行され、1898年の滝川~空知太間の開業を皮切りに、現在の函館本線や宗谷本線、根室本線(富良野線)などの一部を開業していきました。

しかし、明治38年(1905年)に鉄道作業局に管轄が変わり、北海道庁の管轄を離れて逓信省の管轄となります。
そして、明治39年(1906年)に公布された鉄道国有法によって、同年10月1日に鉄道路線は買収・国有化されたのですが、その後も会社自体は北海道炭礦汽船と改称して存続しています。


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