日本の中で最も豊かな自然を有する北海道。そんな北海道の縄文時代の歴史をみなさんはご存知でしょうか。あまり教科書などにも載っていないようなので、結構マニアックな歴史かもしれません。日本全体としての縄文時代の歴史は知っているが、北海道に限定されると全く分からないという人が多いと思われます。私も最近までは、全然知りませんでした。
実は、北海道は日本のほかの地方とは、少し違う歴史・文化を歩んでいるのです。この度は、北海道が縄文時代でどのような歴史を歩んできたのかを少しずつ紹介していきたいと思います。
今回は、今後の時代にもつながっていく伝統的なアイヌ文化が形成された「アイヌ文化時代」について詳しく紹介していきたいと思います。
「アイヌ文化時代」は、教科書などにも載っていることが少ないので、知っている人も意外と少ないようです。
この「アイヌ文化時代」のひとつ前の時代にあたる「擦文文化」を擁する擦文時代は、7世紀から13世紀まで続きました。
13世紀後半になると、「アイヌ文化」という文化が北海道の人々の間で徐々に定着するようになりました。
これが「アイヌ文化時代」の始まりです。
「オホーツク文化」や「トビニタイ文化」が主流となっていたオホーツク海岸沿いでも、「アイヌ文化」が広まるようになり、北海道全体で「アイヌ文化時代」を迎えること
になります。
「アイヌ文化時代」は、本州の時代の流れで言うと、室町時代から江戸時代にあたります。
「アイヌ文化」は、「擦文文化」を担った人たちが「オホーツク文化」に、「オホーツク文化」を担った人たちが「擦文文化」にというように、お互いに影響しあって「アイヌ文化」が形成されたと考えられています。
そのため、「アイヌ文化」の精神論などは、「オホーツク文化」の考え方が大きく影響していたようです。
人々が着ていた衣服も、擦文文化が影響して繊維から糸をつむいで織り機でおるようになりました。
これは、木の内皮の繊維を織ったアイヌの織物であるアットゥシのルーツとも言われています。
その反対に大きく変化したことと言えば、住居や土器などが挙げられます。住居は、擦文時代の竪穴式住居から平地式住居に変わり、土器は本州から鉄器が手に入るようにな
ったことから鉄器に変わっていきました。
この頃からアイヌの人たちは、ほかの地域の人々と盛んに貿易を行うようになったので、今までになかったような新しいものが手に入るようになりました。
そして「アイヌ文化時代」は、和人が北海道に住み始めた時代でもあります。
時期は、定かではありませんが、15世紀の初めごろには鵡川や余市まで住む範囲を広げていったようです。
現在の函館は、貿易の入り口として頻繁に商船が出入りするようになり、問屋や鍛冶屋ができるようになりました。
北海道全体が一つの文化でまとまるカギとなった「アイヌ文化時代」。
調べてみると、「これがあったからあのときの出来事につながるんだ!」など、新たな発見がたくさんあります。