旧石器時代、縄文時代、続縄文時代、擦文時代、アイヌ文化時代と本州とは異なる時代を歩んできた北海道。明治時代では、北海道も本州とともに時代の始まりを迎えます。
ただ、アイヌ文化時代=江戸時代から始まった和人とのわだかまりは、明治時代を迎えても解消できていないようです。
雄大な自然が満載の北海道がどのように開拓されてきたのかをご存知でしょうか。
この度は、「北海道の開拓」について話を広げていきたいと思います。
「北海道の開拓」が行われ始めたのは、明治維新以降のお話です。
あのような広大な大地が明治に入るまで開拓が行われていなかったのは、奇跡だと言われているんですよ。
「北海道の開拓」と言えば、まず思い浮かぶのは歴史の教科書にも必ず出てくる「開拓使」ですが、「開拓使」は明治に入ってすぐの1869年(明治2年)に置かれました。
そのなかでも樺太を開拓する「開拓使」は、「樺太開拓使」と呼ばれ、1870年(明治3年)に置かれました。
「開拓使」配置までの行動が早かった背景には、ロシアが国境を広げようとしていたことが関係しています。
ですが「樺太開拓使」の方は、失敗に終わってしまい1年余りで廃止となってしまいました。
・「北海道の開拓の中心」
「北海道の開拓」の中心地となったのは、現在も北海道で一番栄えている札幌市で、旧北海道庁舎(現在は北海道庁赤レンガ)がある横の場所に開拓使庁舎が建てられました。
そのため、札幌の中心部の道路はその開拓使庁舎を中心に作られています。
そして道路のほかにも、現代につながるさまざまな施設が設けられました。
以下が、開拓の際に設けられた主な施設です。
・ビール工場(現在のサッポロファクトリー)
・鉄道
・炭鉱
・札幌農学校
・さっぽろ時計台
このなかでも特にビール工場や鉄道、炭鉱は産業を発展させるために設けられたと言われています。
これらのほかにも、現在は観光名所になっているような建物もまだまだ存在しますよ。
特に開拓の中心となった札幌市には、開拓の際に建てられた建物が多く残っているので、北海道の開拓の歴史を知りたい方は、ぜひ探して訪れてみてください。