明治の歴史的背景


北海道の歴史
北海道の歴史を時代毎に考察し、主な出来事を史実ごとに事実と共に個人の感想を織り交ぜながら紹介します。
◇明治時代の北海道

旧石器時代、縄文時代、続縄文時代、擦文時代、アイヌ文化時代と本州とは異なる時代を歩んできた北海道。明治時代では、北海道も本州とともに時代の始まりを迎えます。
 ただ、アイヌ文化時代=江戸時代から始まった和人とのわだかまりは、明治時代を迎えても解消できていないようです。

明治時代
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明治時代

 明治2年(1869年)では、明治新政府が「蝦夷地」という地名を「北海道」に呼び改めさせ、一方的に日本の一部としました。そして、明治新政府はアイヌの人たちを「平民」として戸籍を作成し国家に編入させましたが、その一方でアイヌの人たちのことを「旧土人」と呼びあらわして差別を続けました。アイヌの人たちの歴史的背景は、明治時代でも色濃く残っています。

 明治新政府のアイヌ人に対する差別は、さらに続きます。同じ年には、北海道を治めるために置かれた開拓使に、アイヌ民族の言葉や生活習慣を事実上禁じさせ、和風化を強制する政策を取りました。また、アイヌの人たちが今まで利用してきた土地や資源を取り上げ、国の財産だとしたうえで民間に売りはらったり、サケ漁やシカ猟を禁止したりもしました。明治時代では、脱亜入欧・富国強兵をめざす国家体制の改編とともに、このような生業や生活の転換を強いる社会的圧力が急速に大きくなっていきました。
 この背景には、汎スラブ主義を掲げ、オスマン帝国と戦う(クリミア戦争)など、不凍港獲得を目指して南下政策を続けていたロシア帝国の影響があります。明治新政府の中にも、ロシア帝国に対する不安感は根強く、北海道開拓を早急に実施して、日本を防衛することが急務であると考えられていました。

 また北海道には、石炭や森林など、豊富な資源がほぼ未開発の状態のままで残されており、こうした資源の存在は、富国強兵で近代化を急ごうとする明治新政府にとってとても魅力的な存在でした。つまり、北海道開拓のもっとも主要な動機は、日本近代化のための資源の開発だったのです。そして、北海道を開拓した結果、石炭、木材、硫黄などの無尽蔵にも思えた天然資源は、日本近代化の大きな原動力なりました。

 こうした和人本位の北海道開拓優先政策を行った結果、アイヌの人たちは食べるものにも困るようになってしまいました。農業を勧奨する事業がおこなわれたりもしましたが、急に暮らしの仕方を変えるのはほとんどの場合難しいことであり、多くのアイヌの人たちが苦労を強いられました。そして、アイヌの人たちは財産の管理能力がないと決めつけられ、土地私有や各種資産に対する権利までもが制限されました。このように北海道開拓では、次々とアイヌの人たちの自由が奪われていきます。
 さらに明治政府は、明治8年(1975年)にロシアとのあいだで樺太・千島交換条約を結ぶと、サハリン(樺太)や千島に住んでいたアイヌの人たちを無理やり北海道や色丹島に移住させました。しかし、移り住んだ人たちは急激な環境や生活の変化、病気の流行などに苦しみ、多くの人が亡くなってしまいました。アイヌの人たちの強制的な移住は、その後も続いていき、各地で行われました。


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