100年の対立


北海道の歴史
北海道の歴史を時代毎に考察し、主な出来事を史実ごとに事実と共に個人の感想を織り交ぜながら紹介します。
◇江戸時代の北海道

江戸時代の北海道について、紹介していきたいと思います。
 北海道の人々は、江戸時代を迎えても、なお本州の人々とは異なる文化で暮らしていました。
まず、北海道を時代別に分けると、旧石器時代、縄文時代、続縄文時代、擦文時代、アイヌ文化時代となります。時代別にみると分かりますが、弥生、古墳・奈良、平安、鎌倉、室町・戦国、江戸といった時代は、北海道には一切当てはまりません。縄文時代までは、本州と文化や暮らしも同じでしたが、弥生時代に移行せずに独自の文化を築いてきたのが北海道です。

本州との対立とその後
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本州との対立とその後

北海道は、本州で言う江戸時代までは一般的に、千島や樺太を含めて「蝦夷ヶ島」、北海道本島単独では「蝦夷地」と呼ばれていました。本州の人々にとってアイヌの人々は、本州へ移出される品物の直接的または間接的な生産者であり、良い交易者でした。
しかし1457年ごろ、和人がアイヌ人を小刀で刺し殺したことにより、本州から北海道に移り住んだ和人とアイヌ人たちとの対立が始まりました。
その後、約100年にわたって対立が続き、多くの戦いが行われました。1つの事件から、ここまでの長期に及ぶ戦いの起因は、アイヌの人たちと和人との間に政治的、あるいは経済的な問題があったと考えられます。

そして、日高地方に生活圏を持つアイヌの人たちのグループの漁猟権をめぐる争いからシャクシャインの戦いが始まり、アイヌの人たちは松前藩にだまし討ちにされてしまいました。このシャクシャインの戦いで、和人とアイヌ人たちとの長い戦いは終わりを継げます。この戦いにより、アイヌの人たちは、松前藩に従うことを認めざるを得なくなり、松前藩よって植民のように支配されてしまいました。
さらにアイヌの人たちは、漁場の労働力として使われ、それまでの生産者・交易としての立場から漁場に隷属させたれた労働者という立場に変わりました。

その後、しばらくは同じような関係が続きましたが、ロシアが蝦夷地を支配しようと圧力をかけてきました。そのため、徳川幕府はロシアに蝦夷地とアイヌの人たちを奪われないよう、アイヌの人たちが日本に帰属すること、そしてその住居地が日本の領土であることを主張しました。
そして松前藩が禁じていた笠、簑、草履の着用を解禁し、さらに髪形、着衣、名前なども本州風に改める政策を宣言しました。しかし、アイヌの人たちが培ってきた習慣は、その暮らしに深く根を下ろしており、幕府の力をもってしてもなかなか簡単には変えることができなかったようです。


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